日野橋から臨んだあの日
土手を降りる
日野1096あたりの歩道橋から
第三十回 夏の日の夕立ちの匂いと

もう30kmくらい走っただろうか。
何本ジュースを飲んだのか、もう覚えていない。それでも、まだまだ、僕らはペダルを漕ぎ足りなかった。

1987年8月。バスケ部を辞めたSと、ボールを蹴ることすら忘れてしまいそうな無為な毎日を送っていたサッカー部の僕は、合同合宿を揃って辞退した。

皆が合宿へ出た朝、僕らは甲州街道を西へ向かって、
多摩川の川岸
極私的東京百景認定029
掛線
日野橋(前編)
.
思い出の階段
あてもなくペダルを漕いでいた。

「自転車で遠出」という誰しも一度は経験する小さな小さな旅。あの日、日野橋で見た景色は暑い夏の陽炎のようでもあった。しかし、僕の目にはあの日のすべてがハッキリと心に刻まれている。

あの日を最後に、僕は「橋の向こう」へ行ったことがなかった。行きたければ行けばいいだけのことだった。でも今日の今日まで来なかったのは何故だろう?

僕は日野1096番地あたりの歩道橋から眼前に佇む日野橋をファインダー越しに眺めつつ、それをボンヤリ考えていた。あの日の僕が橋の向こうにやってきた。

実は、今日は電車で日野まで来たために、僕は今日まで来た試しのなかった「橋の向こう」からココへやってきてしまったのだ。何とも味気ない。ココへ来る前に地図で「それ」を確認していたのだけど、もはや「それ」について、それほどこだわっていなかったのも事実だ。Sが10年ほど前に一足先に「橋の向こう」へ走っていったことも知っていたし、いずれは自分もそうしたし。そして、今、こうして「橋の向こう」にいることがこの上ない事実だ。

あの日、僕らは無邪気に日野橋の土手を転がるように下りた。実際、僕は土手の上で手を離して、自転車を転がした。よく笑った。

もし土手を下りたあの直後、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降り始めなかったとしても、僕らはココをひとまず「今日のゴール」に選んでいたに違いなかっただろう。
川の流れに目をやる
土手を往く人



中学になると、それまでギア付きだった自転車から「ママチャリ」に乗るようになった。

小学校の頃に自転車を盗まれて以来、取り戻しては乗り、盗まれては新しいのに乗る、のくり返し。
「自転車で遠出」は、いわば憂さ晴らしでもあった。
思いのほか激しい流れ