渋谷区立西原図書館
「春の小川」記念碑
「春の小川」記念碑を臨む
代々木小公園前の踏切
第二十一回「春の小川」に耳を澄ます秋

なかなか澄んだ秋晴れが見られないある昼下がりの日曜日、僕は西原図書館の地下一階にある部屋で調べものをしていた。「春の小川」のモデルが代々木にあると知ったからだ。
殺風景な部屋の向こうから楽器の演奏が元気に聴こえてくる。人形劇が始まるようだ。待ちわびた子どもたちが、この部屋にある時計を何度も確認しに入ってくる。手前の扉が入口だったらしく、僕はいつの間にか
こちらの部屋に閉じ込められてしまった。
小田急線の線路から
町歩きエッセイ『極私的東京。』タイトルロゴ
掛線
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代々木神園町近辺の地図

西原商店街を抜け、ひたすら坂道を下る。小田急線沿いに辿り着いた。右へ行けば代々木上原。僕は左へ歩いて代々木八幡駅を目指した。

代々木は渋谷区の中でも緑が豊富で、居住区域としての印象が高い。都内随一の規模を持つ代々木公園、明治神宮が含まれるせいもある。

「春の小川」のモデルとなったのは宇田川の支流である河骨川。現在は暗渠に。小田急線の線路沿いに設けられた細い歩道がその名残りを伝えている。唯一ある石碑には汚い落書きが。紀元300年頃のキリスト教美術の壁画を現代に残した思いとは程遠い。思いを放棄した駄物に無念のみがこだまする。

代々木公園で一服した僕は引き返して山手通りを横切り、かつて「タヌキ山」と呼ばれた場所へ向かった。小学校1〜2年の頃、僕は友だちとカマキリをよく取りにいった。あまり上手ではなく、バッタばかり捕まえていたが、このタヌキ山でもカマキリは取れた。

何故
タヌキ山かといえばタヌキが出る山だからだが、実際にタヌキを見たことはなかった。脇に入った路傍の草むらを、木切れかカラーバットで叩く。すると、脱皮を3〜4度終えたくらいの体長4センチ弱ほどのカマキリがポトリと落ちてくるのだ。カマキリというのは大人になるまで6〜7度の脱皮をくり返す。

久しぶりに童心に帰ってやってみようと思っていたが、右の写真にも明らかなように、すでにタヌキ山は削られてマンションに様変わりしていた。
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山手通
たぬき山跡(その1)



表記の詩は大正元年に高野辰之がこの下に流れていた宇田川の支流河骨川の岸べを散策し作詞したものです。そのことを後世に伝えるためにこの碑を建立します。
昭和53年12月6日 渋谷区教育委員会
(石碑より抜粋)
たぬき山跡(その2)